2017年2月23日木曜日

【書評】尾形亀之助『美しい街』:能町みね子のとっておきの詩人

この詩集が出るのを知ったのは、夏葉社のTwitterを見たからだ。


※ 2/23現在、Amazonに無いので、夏葉社さんの画像をお借りした。

夏葉社は、前に黒田三郎の『小さなユリと』を買って以来(紹介ブログはこちら
新刊を気にしている小規模の出版社だ。

いい詩集が多く、それに、往来堂に置いてあるから、会社帰りに少し遠回りすれば寄れる。
この詩集も往来堂で買った。
(全然関係ないけど、2/17に取次が始まったのを2/21に買ったら、まだバーコードが読み取れなかった。)

さらに興味を惹いたのが、なんと、
巻末エッセイを能町みね子が書いてるのだ。
(詩の選出も一部携わったらしい)

能町さん界隈の人には常識なのかも知れないけれども、尾形亀之助は、能町さんのフェイバリット詩人らしい。(彼女の言葉を借りれば"ファン")

という前情報があったので、指折り2/17を待ち、書店に入ってそうなタイミングで往来堂を覗き、この本をゲットした。

詩についてはある程度知っていると、手前味噌な僕は思っていたんだけど、
尾形亀之助、知らなかった。

この人の詩は独特だ。
言葉少なで、ぶっきらぼう。
決して説明は多くない。むしろ全然ない。
見たもの、思ったものを、そのまんまアウトプットしたような感じ。

だけど、その言葉で、その日常の光景が見えてくる。時には、その言葉に書かれたもの以上が見えてくる。そういう詩だ。

十二月
紅を染めた夕やけ

風と

ガラスのよごれ

これなんか、好きな詩だった。うわってなった。

窓越しに見る夕焼け。そこに風が吹いて風景を揺らし、雀が地面なのか、塀なのか、どこかに留まっては飛び立ち、留まっては飛び立ちしている。
それをずっと、窓ガラス越しに見ていると、窓ガラスの汚れがふと目に入る。
そういう情景が、書かれていなくても見えてくる。寧ろ、書かれていないから、自由な想像を通して見えてくる。俳句みたいだ

尾形亀之助は、散文もいい。
一つだけ亀之助の散文が載せられており、これは亀之助の二人の子供に向けた書簡という体で彼の考えが書かれているのだけれど、これがまた凄い。

100年以上前に生まれた詩人が書いたとはおよそ思えないような、自由で進歩的な文章が書いてある。未来を先取りしている。

能町さんがこの文章を読んで救われたという趣旨のことを巻末エッセイで書いており、「なるほどな」と思う。

また、詩集には直接書かれてはいないが、亀之助の詩人としての人となりも魅力だ。

1900年に生まれ、東北学院を中退した後、ほぼ定職を持たず、実家からの仕送りで暮らし、42歳の若さで孤独死した。(by Wikipedia)

この生き様のぶっきらぼうさ。
こんなに詩人らしく、また、詩人らしくない詩人はいない。
無頼さはいかにも詩人らしいが、そういう無頼な詩人に多い(例えば金子光晴みたいな)、流浪し、女の子にちょっかい掛ける様な感じはない。ただ家にぼうっと居るだけ、朴念仁、という感じがする。

経歴としては雑誌『歴程』の創刊メンバーらしく、その辺り、実は凄い。実は、って失礼極まりないけど…。
※『歴程』は中原中也などが創刊メンバーの雑誌。この人なんかはいかにも詩人らしい詩人。


手元に置いておいて、ふとした時に開いて、少し読んで、閉じる。
という付き合い方を、これから長くしていきたいと思う詩集だった。(能町さんの実践しているやり方の受け売り。だけど、本当にその通り。)


おしまい。

P.S. 彼の詩集、『色ガラスの街』は、青空文庫にあるから、まず読んで見たい人はそちらを探すのもいいかも。

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